FC2ブログ

少し美味しい話

フードアナリストやましたのブログです。FA24111857

FaYamasan

次の @YouTube 再生リストに動画を追加しました: https://t.co/P7FXXN4MmF PORT DE NGT 2018年09月15日
09-17 00:41

次の @YouTube 再生リストに動画を追加しました: https://t.co/44R4iEfBQu
09-17 00:10

スポンサーサイト
FaYamasan

次の @YouTube 再生リストに動画を追加しました: https://t.co/AM2oV5m2kR NGT48 4thシングル「世界の人へ」
09-15 21:58

FaYamasan

次の @YouTube 再生リストに動画を追加しました: https://t.co/BHqeDkEEjm 【流出!?】NGT48
09-14 01:46

FaYamasan

AKB48のオールナイトニッポン 配信中!!https://t.co/ZDeP5nsvYC#ANN松井珠理奈
09-13 01:05



僕の幼い頃の記憶。
それは断片的でしかないが、忘れ得ぬいくつかの記憶がある。

まだ幼稚園に上がる前、僕の家族は埼玉県大宮市(現さいたま市)に住んでいた。
母親に手を引かれ、雨降りの後の水溜りのある道を、バス停へと歩いて行く。
バス停のある街道へ出た僕の目に、大宮の平地に森が点在する光景が広がる。
幼稚園に上がる前の年齢であるから、相当に低い背丈のはずであるが、そのような光景が見えたのは、当時はまだ背の高い建物が無く、人口もまだ希薄であったからであろうか?
或いはその光景は、父親の車から見た光景であったのかもしれない。
いずれにせよその光景は、大宮の景色として、僕の記憶に強く焼き付けられた。

その後山梨へ引っ越し、山梨で幼稚園へ入った僕にとって、幼馴染とは山梨の地でできた友人達であり、故郷とは山梨を指す言葉となった。
それでも自分が生まれた地として、埼玉県の大宮が、懐かしさと郷愁を誘う地である事は、ティーンの頃から現在に至るまで、いささかも変わることは無い。
僕は何かの折に、例えば家族旅行であったり、学校の遠足や修学旅行であったり、また大学に入って一人暮らしを始めたり、あちこちで自分の記憶にある光景に似た景色を求めて見た。
平地の都市であれば、畑や田んぼの中に点在する森(子供の目から見てであって、実際には林)という光景は、どこにでもありそうだった。
だが何処にも、記憶の中にあるような景色は、存在しなかった。

平成23年(2011年)の帰省旅行の際に、20数年ぶりに大宮の昔住んでいたであろう辺りを訪れて、その光景を目にした時、まさしく自分が追い求めていた景色を目にした。
この光景を見たかったんだ、これこそ懐かしいあの景色だと感じた。
まさしくその地であるのだから、当然といえば当然ではある。
だがこの景色は、やはりこの地にしか無い景色であると、そう感じた。

最近埼玉の食文化について勉強して、あの景色の意味を初めて知ることができた。
埼玉は西で山梨県と県境を接している秩父を除き、殆どが関東平野の平地である。
その平地には、「山」と呼ばれる雑木林があちこちに存在する。
「山」は殆どが、個人の所有(地)である。
現在ではどうかわからないが、昔はキノコなどの自生する“山菜”の収穫場として、また秋以降は落ち葉の収穫場として、生活に重要なウェイトを占めていた。
専業農家であっても、高く売れる換金作物(米もその一つ)は自家消費に使える量は限られており、日々の食事を賄う食材として、「山」で収穫できる野菜類は重要であり、大量の落ち葉は落葉焚の燃料として、これも秋から冬にかけて、重要な資源だった。

なるほど、と僕は自分の記憶の景色が持つ意味を、初めて納得した。
あの雑木林は、埼玉の人々が大切に育んできた、生活の場であったのだ。
何処よりも大切に育まれ、保存されてきたからこその、あの光景であったのだ。

昭和初期の頃に比べれば、現在では生活の上では実質的な価値はないのかもしれない。
だが、埼玉の景色を独特なものとしている「山」を、今に至るまで大切にしている事は、本当に嬉しい事であるし、どうかこれからも「山」を大切に保存して、あの景色を保っていってほしい。